2008年05月20日
遊女の歴史
こんな歴史深いんですね。
本当興味深い歴史です。
奈良期から平安期における遊女の主たる仕事は、神仏一致の遊芸による伝播であり、その後遊芸伝承が次第に中心となる。
日本に於いては、母系婚が鎌倉初期まで続いた事は論を待たないが、男系相続の進展と共に、母系の婚家に男が通う形態から、まず、別宅としての男性主体の住処が成立し、そこに侍る女性としての性行為を前提とする新たな女性層が生まれる。これは、原始から綿々と続いた、子孫繁栄のための対等な性行為から、性行為自体を商品化する大きな転機となる。 それまで、財産は母系、位階は夫系であった秩序が壊れ、自立する拠り所を失った女性が、生活のために性行為を行う「売春」が発生するのは、正にこの時期である。
遊び女はこれとは一線を画し、遊芸の付属物として性行為を行い、そして、性行為自体の技を遊芸の域に高め、その専門家集団としての遊女が確立していく。
売春婦は俗に世界最古の職業と言われるが、日本の遊女も古くから存在していた。諸外国の神殿娼婦と同様、日本の遊女もかつては神社で巫女として神に仕えながら歌や踊りを行っていたが、後に神社を去って諸国を漂泊し、宿場や港で歌や踊りをしながら一方で性も売る様になったものと思われる。一方で遊女と宮中の舞踊・音楽の教習所である「内教坊」の「伎女」に なんらかの関連があると考える研究者もいる。
『万葉集』には「遊行女婦」として現れる。平安時代に「遊女」の語が現れ、特に大阪湾と淀川水系の水運で栄えた江口・神崎の遊女が知られ、平安時代の文章家、大江匡房が『遊女記』を記している。同じ頃、宿駅で春をひさぐ女は傀儡女とも言われた。鎌倉時代には白拍子・宿々の遊君といった遊女が現れたが、鎌倉幕府・室町幕府も遊女を取り締まり、税を徴収した。
近世になると、遊女屋は都市の一か所に集められ遊郭が出来た。1584年(天正13年)、豊臣秀吉の治世に、今の大阪の道頓堀川北岸に最初の遊廓がつくられた。その5年後(1589年 天正17年)には、京都柳町に遊廓が作られた。徳川幕府は江戸に1612年(慶長17年)日本橋人形町付近に吉原遊廓を設けた。17世紀前半に、大坂の遊郭を新町(新町遊廓)へ、京都柳町の遊郭を朱雀野(島原遊廓)に移転した他、吉原遊廓を最終的に浅草日本堤付近に移転した。島原、新町、吉原が公許の三大遊郭(大阪・新町のかわりに長崎・丸山、伊勢・古市を入れる説もある)であったが、ほかにも全国20数カ所に公許の遊廓が存在し、各宿場にも飯盛女と言われる娼婦がいた。
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